学力も並、順調に小中高、大学入試と歩んできた私ですが、「大学生活」、ここで大きな躓きがありました。
そしてこの年代が、(隠れていて気がつかなかった)発達障害が見つかる大きな分岐点の一つと言えます。
この記事はADHDかもしれないと、疑い始めるまで 大人になってから編 prat1の続編です。
目次
学業編
高校までと打って変わり上手くいかなくなった学業、その原因は2点あります。アルバイトと勉強の両立、今までの学問の内容の全く違う科目の登場です。
勉強とアルバイトの両立が厳しい
前回の記事のアルバイト編でも書いたように、学業とアルバイトの両立はわたしにはとても厳しいものでした。
アルバイト先は別にブラックな所ではありませんでした。
融通が利くところでした。テスト週間は2週間休みにしていただいたり、シフト制なので希望のところに入れることができました。
そこまで配慮があっても、私には厳しかったです。
アルバイトもあまり休みすぎては迷惑を掛けてしまう、という不安感が常に付きまとい、勉強に集中できなくなることも多かったです。
単位を取るのに苦労する
それまでは特に勉強が出来ないわけでもなく、中の中ぐらいのレベルでした。にも関わらず、大学に入ってからなかなかテストに合格できなくなります。
中学から高校であれば、基本的な学問は一緒です。英数国などの一般教養がレベルアップしていくものばかりです。
ですが、大学は違いました。
まず、勉強の内容が高校までの内容とほとんど繋がりがりがありませんでした。専門分野を1から知識をつけなければならなくなりました。
そして合格点に達しなければ単位がもらえません。落ちてしまえば再テストを受けて合格点をとらなければいけません。
医療系であったため、身体の構造を勉強する解剖学という講義がありました。私が特に苦手だった科目です。これが何度やっても、何度やっても、合格点に届かず単位がとれません、、結果…
留年しました。。。。
これは、落ちたら留年するかもしれないと、危機感を感じていなかったことも原因です。
2回2年生をやり直しました。つまり、これをしたらどうなる、という結果予測が出来ていないこともADHDに関係してるのかと思います。
ですが2年になると勉強にも慣れていき、成績も徐々に上がって行きました。1年のときは急な環境の変化についていけてなかったことがわかりました。
実習編
医療系の学校であったため、学生のうちに病院で実践を学ぶ実習がありました。
座学とは違う、指導者に監督してもらいながら実際に働くのと医療を行います。
それがとことんできませんでした。
指導者からみてやはり患者さんを任せられなかったのでしょう。他の学生よりずっとやらせてもらえることが少なかったです。
そんな指導者からの評価はこちらの記事にのってます。
具体的にはなにができなかったのか。
まず、2つのことが同時にできない
一度に2つ以上のことに気を配るのがとても苦手でした。
①患者さんの血圧を測りながら、②患者さんが倒れることないか見ること(倒れそうになったら支えること)をやろうとすると、どちらかが抜けてしまいます。
これができないと危険だと判断した指導者は2か月もの間私がこれを出来るようになるまで何度も指導しました。
これが出来るようになったのにかかった時間は普通の人の3倍ほどだ思います。
周りが見えていない、人の邪魔になってしまう
視野が狭いため、まわりの状況がよく見えていないことがあります。
そのため、周りの人の通り道の邪魔になるところに立っていたり、ものを置いたりしてしまいます。
通り道に荷物を置きっぱなしにする、車いすを通りの邪魔になるところにつけてしまう、他の人が歩きだそうとしているのに気がつかず、自分が先に目の前を歩いてしまう、、、など。
これは体が不自由な方が多い病院では特に問題になります。
ちょっとした障害物が、患者さんの大けがにつながることもあります。
他の学生よりずっと進みが遅い
先ほど書きましたが、他の学生よりもやらせてもらえることがぐっと少なかったです。
他の生徒は自分の考えた治療法を監督されつつ任されていたのに対し、私は指導者の補助ばかりでした。
そしてやらせてもらえる事も、時間内に終わらない、もたもたしてしまう事がほとんどでした。
そして、いただいた病院実習の評価をもって、学校に帰り、教員に言い渡されたのが
退学です。
ちゃんと大きく書きます。退学です。。。
要は、このまま続けていても、私のレベルでは病院で働かせられない、資格をとらせることが出来ない=卒業させられない、、といった事でした。
患者さんにけがをさせてしまってからでは危ない、という判断です。
これを受けて、親を説得し、発達障害の診断を受けに行くことになりました。
結果、今では自分に合った職業に就き、親からも自立し、大きな問題なく暮らせてます。
退学にならない道はあったのか、ADHDは大学、就職をどうしたらいいのか
そもそも私がこの分野の大学を選んだのは、実習という制度があったからです。
高校の時点で、自分はちょっと周りとは違う、不器用な所があるのではないか、と薄々感づいてました。
そのため、社会に出る前の練習が実習で出来るのは自分には向いているのか、と考えたからです。
結果、練習をしてみて向いていなかった、その答えが退学です。方向転換が出来た事はある意味幸せなことだったと思います。
ですが、ほとんどの方は退学にはなりたくないでしょう。
退学にならないにはどうしたらいいのかを考えていきます。
- 発達障害の傾向がある人は医療系の職業につかない方がいいのか、、
これも両手を挙げて賛成はできませんが、その方の性質にもよると思います。ADHDであれ、アスペルガー症候群であれ、出来る人もいるでしょう。
- 一般教養の大学に行った方がいいのか、、これもたとえ退学にならなかったとしても、就職してから問題があるケースもあります。
私がこの経験を得て思うことは、自分の適性、不適正を学生のうちにしっかり見極め、得意な物を仕事にするべきだと思います。
そのためのアルバイトはありだと思います。
発達障害の傾向がある方はアルバイトで嫌な思いもたくさんするかもしれません。でも、アルバイトであれば、苦手と分かればすぐ辞められます。そうして得意分野を探していくのは社会に出るうえで良い研究材料となると思います。
得意分野を探す、また苦手分野でも工夫して乗り切る、その記事はこちらにありますので参考にしてみてください。
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